なんでDeath Rideに申し込んでしまったのか。どうして走ってしまったのか。
それは多分、仲間パワーだ。同じ目標に向かって走っている仲間がいると思わなかったら、本番1週間前の週末、師匠ご夫婦に高地トレーニングに連れて行ってもらえていなかったら、本番の2日前から一緒に現地入りしてくれる仲間達がいなかったら、走らなかっただろうし、走れなかっただろうし、予想した最も良い結果を残すことも出来なかったと思う。一緒に走らせてくれた友人達、地元で日本で応援してくれた友人達、そして宿泊地の標高(手持ちの記録では7745ft=2360m)に身体が慣れず、本番前日に撤退を余儀なくされた夫の協力なくしては得られなかった経験です。皆さま、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
そんなDeath Ride、走り終えて一番驚いたのは、こんなに大変なコースを走り終えたっていうのに達成感も感激も思ったほど大きくなかったということ。ゴールで出迎えてくれた友人が目に入ったとき、やっと止まれる、もう走らなくていいという嬉しさはあったけれど、自分が思う何かをやり遂げたぞという類いの達成感とは何かが違う。漠然とではあるけれど、走り終えたら当然ものすごく嬉しくって、心の底からやったー、と思うものだろうと思っていたので、この感激のなさには少々戸惑いました。まぁ、あまりに余裕なかったしなぁ。
Death Rideは大きな登りを5つ走るわけだけれど、スタート/ゴール地点を基点に、三方の山を上り下りするので、全部登らずともゴール出来るようになっています。私の目標は、3つ登れればまぁよし、うまく行けば4つかなー、というものでした。でも、万が一調子がよくって5つ目に行けそうなのに、時間が足りなくなって行けない(途中何カ所も足切り時間が設定されている。)のは残念だな、と思い(<明らかに妄想。)、5つ目の上り口の足切り時間から逆算して、朝4時に出発することに決めました。調子が良かったのは、2つ目の登りまで。3つ目の1/3くらいから段々辛くなり、3つ目の登りを終えた時点で体力的にはもう目一杯。ここの休憩所で私の心のオアシス、師匠と一緒だったのは幸いでした。それにここで食べたチキンラーメンはぬるかったけど旨かった。この時点ではまだ時間がたっぷり残っていたし、4つ目の登りは8kmと5つの中では一番短いので、4つ目に行くことに迷いはありませんでしたが...。いやー、4つ目辛かったわ。途中で3回休み、1時間20分もかかりました。登ったところでもう一度チキンラーメン!と思っていたのに、既に売り切れで、かなりがっかり。4つ目を下ったところにランチストップがあったのですが、もうあとはゴールするだけだし、ゴールまでは20km足らずだし、飲み物とフルーツだけで再出発してしまいました。あーあ。そして、例によって例の如くほとんど忘れていたわけですが、ゴールの手前5km弱は4%くらいのゆるーい登り坂だったのですよ。しかもまったく日陰がない。ペダルを漕ぐ足の力も残っていなければ、身体を支える体幹の力も残っていない。上体の重さは腕にのしかかって、上腕はこれまで経験したことの無いような激しい痛み。ここは4つ目の登りを上回る苦しさ最高潮の区間でした。しかも空腹。途中何度も止まっては手持ちの補給食を口に入れて。記録を見ると30分くらいだったようですが、ものすごーく長く感じました。そして午後3時半、ようやく、ようやく、ようやくゴール...。待ち受けてくれた友人の姿を見つけた時の嬉しさは、最初に書いた通りです。
(< Photo by sobuayu)
振り返ってみると、実力としては、明らかに3つ目の登りまででした。ただ、早朝に出発したために昼の12時前には3つ目を登り終え、4つ目に行くのに十分な時間があったこと、気温が一番上がる時間帯までにほとんど登り終えていたことなどが幸いして、運良く4つ登り終えることが出来ました。Death Ride当日よりも、それに向けて準備をしていた年始以来の時間のほうが明らかに楽しく、Death Ride自体は、それまでの準備を確認した場にすぎなかったのかな、とさえ思います。そして、こんなに身体を使って自分を追い込んだ経験がこれまでにないので、それを達成して嬉しいと感じる回路が脳内に無いらしいということもわかりました。
というわけで、こんなに苦しいことは決して、決して、もう二度とやりません。