セレンディピティは偶然なのか?
セレンディピティは思いがけない発見を「偶然」で説明する結果論なのだろうか?
セレンディピティ(英語:serendipity)とは、全くの偶然から重大な発見や発明を行うことを指す言葉で、特に科学研究の分野において、実験の途中で失敗したために得られた結果から重要な発見や発明を行った場合に用いられる。
- Making discoveries, by accident and sagacity, of things not in quest of.
- Discovering something by accident while investigating something quite different.
前回のエントリーで紹介した「自己組織化」の概念を導入すると、より実感に近づく。
数多くの知識やアイデアが複雑に絡み合い、その後、まったく新しいアイデアが生まれる(=創発する)、ということからわかるように、これは複雑系の問題である。科学の重大な発見が、ひょんなきっかけから生まれる(セレンディピティーという)ことも、同じ現象だ。科学の発見が複数独立に、そしてほぼ同時になされるのも、種となる沢山の要素をもった多くの研究者の頭の中で、共通の問題がほぼ同時に培養されるからであろう。
つまり、十分な原料を仕込み、自己組織化が起こるのに十分なレベルまでかき回した(思考を巡らせた)場合のみ、セレンディピティと呼ばれる現象は起こるのであろう。そして自己組織化が起こる以上、「予期せぬアイデア」が生まれるのは必然ともいえる。
「発見」という言葉をいきなり宇宙のどこかに恒星を発見するようなものだと考えてはいけない。今まで「分かっていたのに気がつかないことが明示化されること」であり、「これまでの結びつきではない、別の結びつきを見つけること」である。
セレンディピティというものが成立するのは、何かを求めている人がある事柄をずっと探しているからで、元々はそこにあったかもしれないものなのだが、意識することによって「前景化」(foregrounding)して見えてくる、ということなのだ。何かを意識して散歩すれば、町の様子が違って見えるようなものである。
ここ数日セレンディピティについて調べていたところ偶然出会ったのが、金川さんのサイトである。もう一言引用すると、
セレンディピティというのは心に補助線を入れることなのである。
なんと粋な。
このページをはじめ、思考を刺激する文章が満載のサイトである。インターネットは脳の中での自己組織化を飛躍的に加速するツールなのかもしれない。