再読「国家の罠」佐藤優

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

個人のBlogで本の紹介をすることの意義については梅田望夫さんのエントリーでも考察されているが、前後のエントリーから紹介する人の視点を知ることができる点で、Amazonのカスタマーレビューよりも「はずれ」が少ないと思われる。僕は、一読して面白いと思った本は、まず紹介し、つぎにじっくりと再読して再度紹介するかたちでやっていこうと思う。

本書では、自分の立ち位置をどれだけ客観視できるかが問われていると思う。

わざと保釈を断り、獄中生活を続ける著者の姿勢を、ついつい「普通の精神力ではない」と感じてしまうが、友人にソビエト連邦時代、強制収容所で過ごしたことのある者がいれば、小菅での生活を相対的に受け止めることができるのであろう。

「週刊誌の作り上げる世論」と「外務省官僚の言う国益」、「永田町」と「霞ヶ関」、それぞれにそれぞれの立ち位置があるが、そのどれかに根を降ろしたまま本書を読み進むことは難しい。ましてや、ほとんど知ることのないロシア人やイスラエル人との関係について、読者の客観的想像力が極めて強く要求される本である。 日経新聞の書評で、著者を「特殊地域の専門家」と評していたが、では「特殊ではない地域」とは、何処を指すのであろうか?

国家の次の一歩を左右するような情報を手に入れるのに、個人的信頼関係を極めて重視する人々を相手としてきた著者は、国策捜査により逮捕された後も、この個人的信頼関係を守ることを目指し、ある意味、淡々と進んでいくのである。

「友だち」ということばは何よりも重い。政治体制の厳しい国では、「友情」が生き抜く上で重要な鍵を握っているのである。このことはイスラエルをはじめとして世界中で活躍するユダヤ人についても言えることだった。私が沈むことによって、ロシア人とユダヤ人の日本人に対する信頼が維持されるならば、それで本望だと私は思った。

私は、この騒動を私が付き合っていた外国人たちがどのように受けとめるかということに関心があった。

本書が出版されて比較的すぐに掲載した前回のエントリーに対し、すぐさま「Russian Federation」・「USSR」といったドメインからアクセスがあったことからも、著者の目標への取り組みが現在進行形であることがわかる。

June 13, 2005