ブログでバイオ 第26回「ベンチャーはオルタナティブか?」
日本のバイオに関する議論がウェブを介しておこなわれているので参加してみたい。シリコンバレーで読んでいて、おや、と思う点から。日本ではベンチャーの定義が曖昧なのではないだろうか?
今の若者の中で、1000に3つしか成功しないということが統計的に言われているベンチャーに、総責任者としての社長として乗り出そうという大学院生・ポスドクがそうそういるとは思えないからです。
僕は経営と起業は違うと思っています。起業家であって経営者でない人はたくさんいます。経営というものは学問になっていますが、起業というのは学問になっていません。つまり、いわゆる「社長」というのは経営者をさす言葉だとおもっています。
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以下、議論を明確にするために、バイオベンチャーとはバイオテクノロジーそのものを売る企業に限定する。バイオ周辺のサービス業は割愛。
バイオベンチャーは、何らかの新しいキラー・テクノロジーを世に出すために起業される。まずはマーケットに一番乗りすることが求められる。だから基本は「時間はお金で買う」。
そのキラー・テクノロジーが大学で生まれた場合、その発案者(ボスなりポスドクなり大学院生)はもちろんベンチャーの起業に参画(=広義の起業家)する訳だが、社長になる訳ではない。時間の無駄だから。
社長のポジションには経営のプロを出資者が連れてくる。ベンチャー・キャピタルはお金を出すだけでなく、適切な人材を投入することによって投資を回収出来る可能性をあげることに全力を注ぐ。それは経営に限らない。
研究力、技術力、開発力はもちろんですが、資金力、法的防衛力、交渉力、販売力、発信力、政治力などなど、どれもが高いレベルで「必要条件」として求められます。
赤の女王とお茶を:バイオベンチャーは社会力の試金石
このいずれかが「必要条件」として浮上してきたときに、適切なプロ人材(専門バカ)を投入出来る体制がシリコンバレーの強み。何十年もの経験の積み重ねがある。さらに「専門バカ」を束ねるのが専門の「専門バカ」人材も豊富だ。
「専門バカ」は「悪い」のか。おそらく今はそうであろう。なぜなら「専門バカ」が多くて希少価値が低いので。しかし、みんなが幅広く浅い知識とスキルを身に付けた角のとれた人材になっていけば、突出した「専門バカ」の希少価値は上がり、マイクロマーケット(=自分の世界)では「非常に良い」になるであろう。
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もしこの矛盾が日本の現状ならば、大学・大学院レベルですら、「専門バカ」を育てるのか、「幅広く浅い知識とスキルを身に付けた角のとれた人材」を育てるのか、覚悟が決まっていないのではないだろうか。
キラー・テクノロジーの発案者には、当然、起業後も研究を詰めることに全力を注ぐことが求められる。だからベンチャーを起業するということは、オルタナティブなキャリアではなく、研究を突き詰めた結果の一つであって、そもそも高い研究能力がなければそのポジションには到達しない。
一方、バイオベンチャーは「時間はお金で買う」ので、開発力が必要なフェーズでは、実験の技術に自身のある研究者は、研究員またはテクニシャンとして、どんどん買われて行く。この求人マーケットは大きく、オルタナティブな選択肢として機能している。でもそれは「社長」でも「起業家」でもない。
いずれにせよ何らかの競争力のある「問題解決能力」を武器に大学から出てゆくのである。
どの人も「研究者」としては能力があっても、「研究者として食べていく」能力がありませんでした。「好きな研究だけやっていられれば、多少給料が安くてもオッケー」みたいなスタンスがだんだん許されなくなってきていて、「好きな研究をやりたければ、実力を示せ」という、欧米型競争社会の思想が研究の場でも導入されてきているわけですが、そういう社会において勝ち抜いていく能力が決定的に欠けていると思います。
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こういうフェーズでは、まだまだ本当のベンチャーが成立するのは難しいのでは。じゃあ何から手をつけたらいいのか。まずは大学の研究室で働くテクニシャンの給料を、そのテクニックに応じて支払える仕組みを確立する必要があると思う。ちなみにスタンフォードでは、腕のいいテクニシャンはバイオベンチャーと取り合いになるので、「好きな研究」をやっている研究者よりも断然給料がいい。
参考文献
朝日新聞社 (2006/12/08)
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