「ウェブ人間論」 思考のソースコードの断片的開示
日本から届いた「ウェブ人間論」を早速読んだ。
梅田さんと平野さんの関心の焦点が絞られているので、言葉がスッと深度を増していって読んでいて楽しい。では半年後にもう一度読むかというと、「ウェブ進化論」は読み返す可能性があるが、「ウェブ人間論」は二度目はないと思う。なぜなら「ウェブ進化論」は思考の結果を構造化したものだが、「ウェブ人間論」はお互いの思考のソースコードが断片的に開示されてゆく過程が記録されたものだからだ。そして対談を終えた二人の思考のソースコードはすでにその対話の過程に影響をうけて既に改変されているであろう。
対談はフローなのである。
だとすると、書籍化された「過去」の対談にウェブ上で反応するのではなく、最初からウェブ上でフローする対談に反応を寄せてゆく、という形式は有効なのではないか。個人のメディア、ブログというフォーマットに加えて、「対談」というフォーマットもウェブに馴染みそうだ。対談の巧者が「はじめに」に、
私たちには、自身の堡塁を守って、相手を論破してやろうという野心が、最初からふしぎなほどなかた。議論というものは、喧嘩腰くらいの方が面白いと考える人もいるかもしれないが、そうしたやりとりは、見せ物としては面白かろうが、結局のところ、得るところは少ないものである。見解の相違が鮮明になることはあったし、議論がそれぞれのアイデンティティに触れるような場面では、言葉が緊張を孕むこともあったが、私たちの労力は、総じて、多岐にわたるテーマに根気強く取り組み、様々なアプローチを試みて、出来るだけ議論を深め、その発展の可能性を探ることに費やされたと信じている。
– p. 9
と書かれているような姿勢でロールモデルとなり、議論の発展に寄与するコメント・反応を取捨選択し、リアルタイムで織り込んでゆくことが積み重なってゆくと、5年くらいのスパンで考えると、ウェブ上での議論の質の底上げにつながってゆくのではないだろうか。